弘法大師さまがお亡くなりになられた後、修行僧が弘法大師さまの足跡を辿って旅をしたの
が始まりとされており一般の人々が旅に出るようになるのは室町時代からのようです。
第1番霊山寺(りょうぜんじ)から第88番大窪寺(おおくぼじ)で終わるのが定番と
なっております。
四国八十八カ所千四百q全てを一度に回ることを「通し打ち」といわれます.
通し打ちは,徒歩で60日はかかる膨大な旅になることから,近年では四国の一県だけを
めぐる「一国打ち(一国参り)」や、何回かに分けてめぐる「区切り打ち」も増えて
いるようです。
「お接待」は四国の遍路道の皆さまが、飲み物や食べ物等をお遍路さんに奉仕されることを
言います。
そこにはお遍路さんは弘法大師であるという考え方が根底にあるようです。
「お遍路さんお茶をどうぞ」とお接待されます。
同行二人。何時でも弘法大師さまとご一緒の二人連れです。
車で移動中は、孫は後ろの座席でお経本を見てお唱えの練習を致しており,分からない所は
私たちに聞いて勉強するほど気合いの入れ込みです。
ご本尊さまの前では、私たちの真ん中に立ち手を合わせて正面を向いて微動だにせず
お経をお唱えする姿に、お遍路さまから、感嘆のお声をかけて戴きました。
山門をくぐれば、わき目も振れず無言で歩く姿はとても四歳の子供とは思えない振る舞い
にございます。
しかし後半になりますと、心身ともに疲れてきたのか食事も余り取らなくなり,その日の
お遍路が終わる頃には発熱のため座席で横になりながらも札所に到着すると自分で起き
歩き出すのです。
しかし疲れのせいか86番札所志度寺からは、車の中で吐き気を模様するやら、ぐったり
した様子に中断し病院へと考えたのですが、それでも札所に到着すれば
自分で起きだして歩るくのでございます.
ところが、88番札所大窪寺に到着いたしましたらなんと元気はつらつ、一番に
歩き出したのです。
ご本尊さまの御前に立ち今までの孫の事を考えましたら、私たち夫婦は涙涙で
声が出ないのでございます。
傍にいる孫に、「大きな声でお経をお唱えしなさい」と教え、とうとう最後まで
孫一人のお経でございました。