ご神仏さまに生かされて心に安らぎを賜る

ご神仏さまに生かされて
心に安らぎを賜る

風景

「国宝・霧島神宮」

「迎春」

            

ご紹介

何もない戦後のどさくさに島根県の片田舎で生まれました私は、お下がりの真っな着物を着せられ 一人這いずりながら海岸の波打ち際で遊んでおる私でした。
中学校の卒業式に校長先生から、”かつむり そろそろ登れ 富士の山”と書いた短冊を戴きましたが、 今思えば確かに かたつむりの人生であったようです。
時々、大器晩成だと言われ励まされながらも歩いておりました私でございましたが、
気が付いて見ると、富士山に到達するどころか断崖絶壁に座り込んでいる私でした.
しかし、ご神仏さまはこの私を生かそうとされ、ご神仏さまのお手伝いをさせられたので
ございます。

風景

「弘法大師空海」

「合掌」
「南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛」

九州北部の真言宗系のお寺にお座しまする氏神さま、二百体の仏さまに、寝場所はもちろん食事もままならない 状態での1日も休まない10年間の行をお与えになられたのです。
お社の前でひれ伏す私にご神仏さまは、気枯れの状態の私に「気」のエネルギーを、
また全てに「感謝する心」を授けて戴いたのであります。
この10年間、一度も病むことなく怪我一つせずの心身の健康を与えられたのです。


生まれたばかりのお釈迦さまは、東西南北の四方向に,七歩づつ歩まれ右手で天を指し、
左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言われた
と伝えられおります。
これは、「この世の中で私という存在は唯我独尊として生きている。つまり自分はかけがいのない一人で、 とても尊い命を持っている。この事に気づく時、他の人々の存在も同様で
あり、全ての命の尊さが、自ら分かり、生きとし生けるもの全てが尊い存在であることに
気づくはずである。」と教えられます。


風景

「高知県・桂浜」

どのような社会で生きるにせよ一人で生きることは出来ません。
人さまの心を理解し感謝する心を持ちなさい。という事ではないでしょうか。
人さまに手を合わせることは、その人に対して感謝する気持ちが出てまいります。
感謝する心は、有難う、勿体ない、という謙虚な心になります。
今、この今を大切に生きるために神さま仏さまは私たちに手を合わせる事を教えられます。
世界に誇れる日本の歴史、伝統、文化を私たちは、先祖からの相続財産として引き継いでいく義務があると思います。
日本には、ご神仏さまがいらっしゃいますから、争いごとも少なく良い国民性が保たれてきたと思います。
神さまは、自然を大事にしなさい。命を大事にしなさい。また仏さまは、精進の徳、忍辱の徳、慈悲の徳を教えられたのでございます。
その教えにより、美しい日本が出来たのでございます。

”風景"

「福岡城跡」

古の面影残す山里に
散りばめ萌ゆる山櫻かな

皆さま一人一人が尊い存在であり、神の子仏の子として、それぞれが認め合う世の中になるように、 私は、皆さまと共に、この道を歩いてまいります。

合 掌

福 江