四国八十八カ所
巡拝

風景

第75番札所五岳山善通寺

ご本尊:薬師如来

<ご真言>
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

<ご詠歌>
我に住まば よも消えはてじ善通寺
深き誓いの 法のともし火

<弘法大師・ご真言>
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛

五岳山善通寺(ごがくざんぜんつうじ)とは
弘法大師誕生の地、真言宗善通寺派の総本山です。
和歌山の高野山、京都の東寺と並ぶ弘法大師三大霊跡の一つです。
この地は、弘法大師の生家である佐伯氏の屋敷があったところで、父・佐伯直田公善通
(さえきあだたきみなおみち)は、讃岐の国造(くにのみやっこ)に連なる家柄で、多度郡
(現在の多度津から善通寺周辺)の郡司を務めていました。

一方、母の玉依御前(たまよりごぜん)の実家筋の阿刀氏は、当時の日本でトップクラスの 学者の家柄で叔父の阿刀大足(あとうおおたり)は、桓武天皇の皇子伊予親王の侍講
(専属教師)を務めたほどで、幼き日の真魚(弘法大師の幼名)は、叔父である大足から
学問を学ばれたようです。

青年時代には、四国の山野を歩かれ、延暦23年(804)31歳で唐に渡り、恵果阿闍梨と出会い
密教の大法を授けられ、帰国後は京都高雄山寺で修法、弘仁10年(819)に高尾山を開き、
同14年(823)には平安京鎮護の寺として東寺を朝廷から給預され、堂塔を建立して密教による 国家鎮護の道場とされました。

この修行の聖地・高野山と根本道場・東寺という真言密教二つの聖地に対し、善通寺は
生誕の聖地ということになります。

寺伝によれば、善通寺の創建は大同2年(807)、唐から帰国した弘法大師が、真言宗最初の
根本道場とせて。唐の都長安の青龍寺を模して建てたとされています。
真魚と呼ばれていた幼い日に捨て身の修行をした伝説の我拝師山がある五岳を山号とし、
父・善通の名を寺号とした、とされています。

お大師さま 我にも母はおりまする
自画像書く日は この世あの世

合 掌

福 江

<お遍路ガイド>
第75番札所善通寺〜第76番札所金倉寺