日本の神さま

風景

国宝・霧島神宮

御祭神:天饒石国饒石天津日高彦火邇邇芸命(ニニギノミコト)


 「拝殿の囃子が響く山里は 錦の旗に色を染められ

                             

日本には八百万の神さまがいらっしゃい ます。
 日本神話は、奈良時代に「古事記」の上巻、「日本書紀」の一巻、二巻とに書かれていた
 ものを日本神話と言われており、天地の始まり、日本の国土が生まれる様子、天皇が
 日本の国を治められるまでの事が書かれております。


「国土の始まり」
 太古の昔、混沌としていた天地がやっとおぼろげながら分かれたとき、
 高天原(天上界)天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を始めとする五柱の神さまが
 お生まれになり、これらの神さまは国土創生の基礎固めをなされた為「別天津神(コトア
 マツカミ)」と、別天津神の次にお生まれになられた国土の根元である国之常立神(クニ
 ノトコタチノカミ)と 豊雲野神(トヨクモノカミ)の二神さまであります。
 この二神までは独神(ヒトリカミ)(独身の神)でお姿を現されませんでした。


「ご夫婦の神さま」
 このあとにお生まれになられた神々さまは、ご夫婦でこの世にお姿を現されるように
 なられたとございます。
 ご夫婦の神さまとして最初にお生まれになられた神さまが,
 宇比地邇神(ウヒジコノカミ)と、その妻の須比智邇神(スヒジコノカミ)、
 角杙神(ツノグイノカミ)と妻の活杙神(イクグイノカミ)、
 意富斗能地神(オオトノジノカミ)と妻の大斗乃辨神(オオトノベノカミ)、
 於母陀流神(オモダルノカミ)と妻の阿夜詞志古泥神(アヤカシコネノカミ)、
 伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノ ミコト)がお生まれになり
 ました。
 以上の神さまを「神世七代(カミヨナナヨ)」と呼ばれております。


「国造り」
 こうしてお出ましになられた神さまにより、日本の国土のおおよその姿が出来たのですが  いまだ完全では有りませんでした。
 そこで別天津神と云われる五柱の神さまが、
 伊邪那岐命、伊邪那美命さまに国土を完成するように命じられ出来上がったのが、
 大八島国(オオヤシマノクニ)日本列島です。
 国造りを終えられた二神さまは、
 次に山や川、海、樹木、岩の神さまをお創りになり
 最後の火の神さまをお創りになられたことにより伊邪那美命さまがお亡くなりになられ
 ました。

 この事にお嘆きなされた伊邪那岐命さまは、
 黄泉国(よみのくに)にお迎えに行かれたのですが、上手く行かず、お一人で黄泉国から
 お帰りになれた伊邪那岐命さまは、日向(ひむか)の清流で、 黄泉国の穢れを落とし
 身を清められたのです。
 これが禊祓い(みそぎはらい)の起源と云われております。

風景

「小戸大神宮(福岡市)」


私の住まいである福岡市西区に小戸大神宮がございます。
 ご祭神は天照大御神.手力雄命(たちからおのみこと).拷幡千千姫命(たくはたちちひめ
 のみこと)でございます。
 御由緒によりますと、
 小戸大神宮は、神世の昔伊邪那岐命が御禊祓(みそぎはらえ)の神事を行われた尊い地
 であり、皇祖天照皇大神を初め、住吉三神(表筒男命(うわづつのおのみこと).
 中筒男命(なかづつのおのみこと).底筒男命(そこづつのおのみこと)他、神々が
 御降誕され、神功皇后(じんぐうこうごう)の御出師(ごしゅすい)及び凱旋
(がいせん)上陸された実に由緒ある神社であります。
 全国の神社で奏上(ほうじょう)されている祝詞の中に小戸の地名が示されております。
「祓詞(はらえことば)」
 掛まくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神 筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原
(あわぎはら)に 御禊祓(みそぎはら)へ給(たま)ひし時に生(な)り坐(ま)せる
 祓戸(はらえど)の大神等(おおかみたち)諸諸(もろもろ)の禍事(まがごと)
 罪穢れ(けがれ)有(あ)らむをば 祓へ給(たま)ひ清め給へと申事(もをすこと)を
 聞こし食(め)せと 恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)す


 筑紫とは福岡を指し、小戸の阿波岐原とは今の小戸の浜だと伝えられております。


「天孫降臨」
   天照大御神さまの子孫である天孫、邇邇芸命さまは、
 木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)さまとご結婚され、
 日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト)山幸彦さまを お生みになり、
 山幸彦(ヤマサチヒコ)さまと豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)さまとの間に、
 お生まれになられた鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)さまが, 
 玉依毘売姫(タマヨリヒメ)さまとご結婚されお生まれになられたのが、初代の現人神(あらひとがみ)神武天皇です。


風景

「霧島神宮高千穂河原斎場 」


 日本の総氏神さまで有り皇室の御祖神(オミヤガミ)でもある天照大御神(アマテラス
 オオミカミ)さまは、葦原中国(アシハラノナカツクニ)と 呼ばれている地上の人々の  食料にするようにと、邇邇芸命さまに高天原(タカマガハラ)と呼ばれる天の国の神聖な  稲穂をお渡しになり、「私に替って地上で稲作に従事するように私は天の国(高天原)に  て稲作に従事する」と誓願されたようでございます。

 邇邇芸命さまは、その稲穂を持ちこの地上(葦原中国)に天降られました。
 これを「天孫降臨(テンソンコウリン)」と言います。
 邇邇芸命さまの子孫である天皇は、現在も種籾を蒔き田植えや稲刈りをなされます。
 天皇お一人では日本中の稲は作れないので、天皇に替って人々が稲作に従事するので
 ございます。
 稲作は大変だけれども、天照大御神さまも同じように従事されているのですから、単なる
 生業(なりわい)ではなく稲作儀礼とも云われる神の聖なる神事なのでございます。

「救済」
 神話の中での話と史実とは異なりますが、神さまの救済は私達はの身近に多く見受けら
 れ、八百万の神々さまの中で私達は生活させて戴いているのでございます。

「お参り」
 私たちは、神さまの御前に襟を正し、深々と頭を下げお参りさせて戴きます。

「参道の歩き方」
 参道の中央は、「正中」と云われ、神さまの通り道と云われており、なるべく側道を歩き
 鳥居をくぐる時は軽くお辞儀を致します。

「お手水の作法」
 お手水は、身体を清める禊(みそぎ)の役割を致します。
 心の穢(けがれ)をお手水で祓(はら)いご神前に清らかな気持ちでお参りを致します。

「二礼二拍手一礼」
 1)拝殿に向かって、軽く会釈をし、鈴を鳴らします。
   鈴は神さまへの呼び鈴ではなく、音を浴びて、私たちの邪気を祓う意味があります。
   綺麗な身と心となって、神さまにお参り致します。

  2)お賽銭箱にお賽銭をお入れします。
   もともとは「初穂」と言って、神前に稲穂を捧げたり、米を捧げたり致しました。
   お米は大切な命の糧でした。私欲を捨て、大切な命の糧を捧げることで日本人は
   神さまにお参りしてきました。
   通貨が普及してからは稲穂や米の代わりにお金を捧げて、お参りをする風習に
   変わってきました。
   お賽銭は願い事を聞いてもらう代価ではありません。
   自分の命の糧を捧げることで私欲を捨てて 神さまにお参りをいたします。


  3) 二礼(二回深々と頭を下げてお辞儀をする)
   神さまに敬意を表すために先ず姿勢を正してから90度に腰を曲げて二礼致します。
   私欲を捨てて神さまにお参り致します。


 4) 二拍手
   先ずは胸の高さで掌を合わせ、右手を少し下げて柏手を打ちます。
   二回目の柏手を打ち終えたら、その後指先をきちんと合わせます。
   そして手を八の字型に下していきます。
   両手は、次の一礼の所作に移るために太ももに合わせます。
   掌をずらすのは、神さまと人がまだ一体になっていないことを表し二度手を打ち
   神さまを招きそして手を合わせることで神さまと人が一体となるという意味がありま    す。
   祈願を込めるのは、このずらした両手の指先を合わせる一瞬です。


  5) 一礼をして終了
   もう一度お辞儀をし、感謝の心を持ってゆっくりと頭を上げます。


「なにごとのおわしますかはしらねども
かたじけなさになみだこぼるる」

礼 拝

福 江