合 掌

風景

「阿字の子が 阿字の古里たちいでて また立ち帰る阿字の古里」
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛

真言宗の開祖であられる弘法大師さまの御教えの中に、阿字からすなわち大日如来さまから  命を戴き人としてこの世に生を授かり「阿字の子」である私たちは仏の子として自分自身  が、持っている仏性に目覚め本来の姿である仏に帰るという意味だと教え諭されます。

仏性とは、仏の性質、仏である本質、仏としての本性、仏となる可能性とございますが
 一番分かりやすいのは仏になる可能性だと思います。
 私たちは自然に手を合わせることが出来ます。合掌です。

私たちは、仏壇の前で、またお寺さんにお参りするするときに両手を合わせて礼拝します。
 合掌とは、インドに古くから伝わる敬礼法、つまり相手を敬う作法で、それが日本に
 伝わり仏教徒の礼拝作法になったようです。

仏教を開かれたお釈迦さまの仏像は、右手を上げ掌を見せ左手を私たちの方に出されて
 おられます。
 私たちの方に出されている左手は与願印(よがんいん)といって、人々が願うものを
 与えることを示しています。
 右手は施無畏印(せむいいん)といって、お釈迦さまの説法を聞く人々の恐れを除いて
 安心させてあげることを示しています。
 お釈迦さまの与願印、施無畏印は仏教の教えの中でも特に重要な道徳の教えの六波羅蜜(ろくはらみつ)の布施の形です。
 お釈迦さまは布施をされている仏さまです。布施の教えとは、無償の愛です。
 無償の愛とは、親が子に対する愛情です。これは仏教道徳の基本でございます。


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「第75番札所善通寺」

仏教には十善戒(じゅうぜんかい)という戒律があります 。これは守るべき十の戒律です。
 不殺生(ふせっしょう):人を殺してはいけない
 不偸盗(ふちゅうとう):盗みをしてはいけない
 不邪淫(ふじゃいん) :邪で淫らな事をしてはいけない
 不妄語(ふもうご)  :うそをついてはいけない。
 不悪口(ふあっく)  :人の悪口をいってはいけない
 不両舌(ふりょうぜつ):二枚舌を使ってはいけない
 不慳貪(ふけんどん) :物惜しみしてはいけない
 不瞋恚(ふしんい)  :怒ってはいけない
 不邪見(ふじゃけん) :よこしまな見解を抱いてはいけない


そして六波羅蜜(ろくはらみつ)という六つの徳があります。
 布施(ふせ)   : 精神的な安定を与える「無畏施」、仏法を教える「法施」、
 布施....................: 他人に笑顔を見せる「和顔施」,優しい眼差しを向ける「眼施」
 忍辱 (にんにく) : 怒りの心をしず め耐え忍び他人を恨まず心を平静に保つことです。
 精進(しょうじん):正しい行いをする為に、ひたすら努力することです。
 持戒(じかい)  :人間の欲望からの苦しみを無くすは禁じられていることを堅く守る。
 禅定(ぜんじょう):精神を落ち着かせ心安らかにすることです。
 智慧(ちえ)   :仏さまから生きる術を戴くことです.


仏教(大乗仏教)の修行者が仏、菩薩になるために行うべき十善戒の戒め、六波羅蜜の徳を受け入れなければなりません。
 お釈迦さまは愛欲を捨てて悟りを開かれました。
 そのお釈迦さまの生き方を学んで仏になろうとするのが釈迦仏教です。

日本の仏教は、悟られた仏さまになるより人を救う菩薩になる、この大乗仏教の教えです。
大乗仏教の経典の法華経には、次のような言葉がございます。

「今此の三界は 皆是れ我が有なり
  其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり」

この言葉の中で衆生(人間を含むあらゆる生き物)は、お釈迦さまの子ども(仏子)で
 あると説かれております。
 私たちは 仏の子であるということです。
 仏の子であればお釈迦さまが説かれた道徳の教えは、人間として我が心身に兼ね備えて
 おりますから、仏子であることに 誇りを持ち、私たちそれぞれが尊敬しあえるならば
 仏さまらしい物の見方考えが出来るのではないかと言うことです。
 布施の教えとは、無償の愛です。無償の愛とは、親の子に対する愛情です。
 私たちが仏の子であればこの心身粗末には出来ません。
 一生大事にしなくてはなりません。
 そのためには、心身が健康でなければなりません。
 仏さまは、私たちに手を合わせることを授けられ感謝の心を持ちなさいと教えられます。
 お互いに手を合わせる心、その心があれば心身が健康になり、慈悲深い仏さまの子として
 この世を幸せに生きていけると云われております。


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仏さまにお参りする時には両手を合わせて合掌致します。
 口へんに十を書くと叶うという字になります。
 これは自分の願いが叶うようにという字になります。
 自分の願いが叶うようにと、口の前に十本の指を合わせます。
 人は弱い生き物でございます。だからご神仏さまに救いを求めお念仏をお唱えし合掌する
 のでございます。
念仏の念とは、今の心と書きます。
 明日念じようとか、昨日念じておけば良かったではありません。
 今です。今、仏さまのお姿を心に戴き、仏様のご真言をお唱えします。
 人は、自分の力ではどうしようも無くなった時「神さま仏さま助けて下さい」と手を
 合わせております。
 私たちが本当に切羽詰まった時「仏さま助けて下さい」と、この信ずるひと言で私たちは
 随分と心が癒されます。
信心とは、まことの心と書きます。
 まことの心とは、欲心を捨て邪念を捨てて一心に手を合わせる、これが信心です。

合 掌

福 江